kfeg blogへようこそお越し下さいました。 わが家で起きた、あんなことや、そんなことや、こんなことなど盛り沢山な内容を頑張ってお伝えしてまいります!!!(笑) どうぞ、気楽にお付き合いください<m(__)m>
トイレの神様という歌をご存知でしょうか。
「とてもいい歌だ!」と、巷で大評判の曲です。
1曲9分52秒もあるとても長い曲で、
植村花菜(うえむら かな)さんという、関西(兵庫県川西市)出身のシンガーソングライターが歌っておられます。
タイトルからすると、コミックソングのようですが、まったく違います。
ついつい涙ぐんでしまう名曲です。
ご自身と亡きおばあちゃんとの思い出を綴った曲で、小3から23歳くらいまでの実体験が、ベースとなっているようです。
関西のFMラジオ局FM802で、今年1月に初めてフルコーラスが流れたことで、多くの人が知ることとなりました。FM802には放送と同時に番組BBSに「感動した」、「泣いた」、「ありがとう」との書き込みが殺到したそうです。
そのオリジナルクリップを見つけましたので、ぜひご覧になってください。
自身はもとより、子供たち特に女の子には聴いてもらいたい名曲です。
聴き終えた後には、コミカルなタイトル「トイレの神様」という言葉だけでジーンときてしまうはずです。
以下は、歌詞です2回目は歌詞を読みながら聞いてみるのもよいかと思います。
トイレの神様
作詞:植村花菜・山田ひろし 作曲:植村花菜 編曲:寺岡呼人
小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた
買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった
休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった
どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った
「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
次の日の朝 おばあちゃんは
静かに眠りについた
まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように
ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする
おばあちゃん
おばあちゃん ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう
オフィシャルサイト:http://www.clearsky.co.jp/kana
オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/uemurakana/
先日、マスターのライブに久々に出かけました。
そうそう、マスターとは、知る人ぞ知るシンカーソングライターの北村謙さんのことです。
マスターとの出会いは、大学生時代にさかのぼります。
僕は、大学の放送部に所属し、当時は技術部で、いわゆるミキサーをしておりました。
クラブとバイトに明け暮れていたそんなある日、円山野外音楽堂でステージモニターミキサーのアルバイト話が舞い込んできました。予定もなく当然引き受けたのですが、その時ステージを務められたのが、この北村謙さんでした。
僕は、もともと当時のラジオで活躍されていた、北村謙さんのファンでバイトでお金を頂きつつ、音楽が堪能できるのだから、最高!と、喜びつつミキサーをしていたのですが、よくよくコンサートタイトルを見ると、さよならコンサートと書かれているではありませんか。
くしくも、僕がモニターミキサーをさせて頂いたコンサートが、音楽業界から去られるラストコンサートだったのです。ステージ中のお話をうかがっていると、どうも京都で喫茶店をされるとのこと、いつか行かなければと思いつつも、その日のコンサートは終わりました。
そして、少々時間がたち、北村謙さんのされている喫茶店の名前もわかり、お邪魔することと相成りました。
僕が、ラストコンサートのモニターミキサーであったことをお話しすると、覚えていたくださったようで、おいしいコーヒーを頂きながら、僕がファンであることなど、いろんな話をさせて頂きました。
そして、通うようになり、ひょんなことから、お店のアルバイトとして、働かせてもらうようになりました。
それ以降、僕は北村謙さんのことをマスターと呼んでいます。
多くの方々は、謙さんと呼ばれるのですが、僕には、マスターという呼び方が一番しっくりきます。
それから、大学在学中は、ずっとアルバイトとして、働かせて頂きました。
マスターからは、いろいろなことを学びました。
音楽のことは勿論、良いことから、悪いことまで(笑)
爆笑話も、数知れずあるのですが、そこまで書いていると恐ろしいページが必要となるので、今回は割愛します。機会があれば、ご紹介してゆきます。
ただ、一つ言えることは、僕の人生において、最も影響を受けた方であることは間違いありません。
僕は大学を卒業し、就職して忙しい日々を過ごすようになりました。
マスターもお店を閉められ、新しいビジネスを始められました。
そして、月日が流れ、マスターとは年賀状のやり取りだけというお付き合いになってしまいました。
時は流れて20年以上。
これもまた、不思議な出合いなのですが、今年に入って中古楽器やでバンジョーを見つけ、ついつい衝動買いをしてしまいました。
バンジョーと言えば、マスターです。日本では、五指に入る名手です。
アルバイト中は、話をしたことがないのですが、僕も学生時代少しバンジョーの練習をしていたことがあったのです。
そして、ふとマスターを思い出しました。マスターの運営されるWEBサイトを発見し、今は、バンジョーひとり旅と題して、バンジョーだけでライブ活動をされていることを知りました。
そして、早速メールをし近々お会いできればとご挨拶をした矢先、奈良でライブがあることを知り、先日伺い久々の再開となったわけです。
素晴らしいライブでした。
僕にとって懐かしい、思い出の曲も歌ってくださいました。
また、ライブでは、喫茶店時代のアルバイトが久々に来ていると、ご紹介もして頂きました。
まあ、正確にはご紹介と言うよりも、ネタにされたという方が正しいのですが(笑)
そして、ライブも終わりしばし、お話をできる機会が訪れました。
20年以上ぶりの再開だというのに、本当にそれだけ会っていないのが不思議なくらい、話が進みました。
楽しい時間もつかの間で、その日はマスターとお別れしました。
後日、マスターにライブが最高に楽しかったこと、わが家の奥さまも会いたがっている等のお礼のメールをしたところ、以下のメールが返信されてきました。
何十年逢わずとも、出会った途端にまるで昨日もあって居たかの様に話が出来る。
そんな人たちに囲まれて暮らす様になってきた。
SOUL FRIEND・・・なつかしさより先に明日のことが話せる。
きっと昔から、イヤ前世からの因縁なのでしょう。
そんなことを感じた夜でした。女房が逢いたがってました。
ありがと。 北村 謙
嬉しい限りです。
そして、僕もそう感じました。
時の経過は、物事を忘れさせるだけのものではないと。
マスター、楽しいひと時を本当にありがとうございました。
近々の再会を心より祈っています。
△ライブの様子
△仲良く記念撮影です ^ ^ 右がマスターです。
マスターのホームページ
謙さんのページ
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